第二回目は、桜坂洋よくわかる現代魔法」です。

この作品は、作品の構造としてはとてもシンプルなライトノベルです。読みやすさを志向し、ジャンルに対する意識としてはコバルト系の少女小説とファンタジーに対する参照が強いです。ファンタジーといってもトールキンとかに代表されるハードなものではなく、宇宙皇子に代表される80年代半ばから90年代前半の日本のファンタジー小説に代表される類のものです。

とはいえ、この作品の最大の魅力はいわゆるコンピュータ言語に代表されるマシン語を呪文とみなし、プログラマーを魔法使いとして扱う点にあると思われます*1。確かに優秀なプログラマーをウィザードと呼ぶ呼称は(一般化はしていないものの)流通していますが、その呼称をベタに受け取ることで、この現代は魔法が氾濫している時代であり、魔法使いが存在する世界なのだと語るこの小説はとても面白いと思われます。現代の魔法=機械が解読できるコードと考えることで、現代の魔法使いとは、機械に命令を遂行させるアルゴリズムを組み上げられる人ということになります*2。この設定がとても素敵だと思われる理由は「きれいさ」「優雅さ」「シンプルさ」といったコードの様態を形容する際に用いられる語が、そのまま、そのコードを書くプログラマ=現代の魔法使いの属性へと転用され、その結果としてきれいで、シンプルで優雅なコードを書ける人=優雅に魔法を編める強力な魔法使いと読み替えることができるという点です。

つまり、ハッカー文化に代表されるコンピュータ言語を共通語とするある価値体系の中で流通する俗語「ウィザード」を、日常言語を共通語とする通俗的な価値体系の中で理解されている意味での「魔法使い」と捉えてみることで、プログラミングという行為は呪文詠唱になり、プログラマーは魔法使いになり、マシンはプログラマーが魔法を編み上げる媒介にして、プログラマーの従者となり、コンピュータウィルスはこの社会を混乱させる(時には物理的に破壊する)悪い呪文となるわけです。異なる言語共同体において、異なる意味を担わされている単語「ウィザード」=「魔法使い」とは、その意味で、どの共同体で用いられるかに応じて異なる意味をもつわけなのですが、この小説においてはまさにその異なる意味を積極的に混同することで、ひとつの世界を構築する足場を作り出したわけです。完璧にネタもの勝負、一本勝ちといった感があります*3

あとは、キャラ絵が個人的にはツボでした。りぼんとかを愛読している人には「うんうん」とうなずいてもらえると思います。キャラそれ自体としてはご多分にもれず嘉穂に萌えました。冷静キャラはかわいいのです。世界の真理です。ノーダウトです。さらに冷静キャラほど実は友情に厚かったりするわけで、少女同士の友情ものに胸をキュンとさせがちなkase的にはたまらないキャラでした。嘉穂かわいいよ、嘉穂。俺を分解してくれ*4

*1:先端科学=魔法という定式はクラーク以来かなりベタな設定ですが、コードを組み上げる=魔法を編むという読み替えはすばらしいと思う。

*2:例えば、TeXの文章ファイルの作り方の解説本には、一行目の「\documentstyle[12pt]{jarticle}」を「おまじない」と説明している本も現存しています。

*3:「思いついたもの勝ち」という言葉は、思いついた当人の努力やひらめきを正当に評価していないと個人的には感じる

*4:嘉穂は幼少時から機械を分解する癖をもっている冷静でかわいくて素敵な女の子なのです。最高。