kaseが読んだラノベの感想を挙げていきます。
第一回目は、新城カズマのサマー/タイム/トラベラー(1)です。

この作品(以下、STT)のすばらしさは、何よりもラノベの文法をフルに使い切っているという点にあると思われます。新城カズマは「ライトノベル「超」入門」において、ライトノベルをおおよそ次のように定義していました。ライトノベルとは第一にメタジャンル小説であり、第二に読者にとっての読みやすさを高めるための技法がフルに動員された小説一般である、と。*1

この定義を念頭におけば、STTはSFというジャンル小説の枠組みを踏襲しながらも、そうしたジャンルに特有のガジェット一般(可能世界論、形式論理学、平行世界論、タイムトラベラーのパラドクス、観測者問題、量子論理、フェルミの方程式、ドレイクの方程式などなど)をほぼすべて大人びた高校生たちの対話のなかへと織り込むことで、その読みやすさを高め(難解さを軽減し)、同時に、こうしたガジェットを梃子として展開される話の筋それ自体は、ジュブナイル小説の枠組みを踏まえているがゆえに、すぐれた青春もの小説として読むことができる。SFとジュブナイルというジャンルに対してメタな立場を維持しながら、同時に読みやすさを指向した小説であるSTTは、新城がいうところの「ライトノベル」を体現した作品であるといえるでしょう。

キャラとしては個人的には響子に萌え続けました。響子が編み続けるアエリスムという架空の金言句集の設定を読んだ時に思い出したことは、知人が過去に作っていた似たようなページ*2悪魔の辞典とか、フローベールの紋切り型辞典とかいったこの種の試みは、人類の愚性*3の総量が一定以上に達すると不可避的に世に現れる類のものだと思うのですが、響子のアエリスムはそういった人間の愚性を前提にした上で、単にそれらを相対化するだけにとどまらず、それらの根本的な治療法を提案するという意味で他の試みとは異なった攻性的な試みだと思います。一方で、コージンというキャラは、あくまでゲームマスター視点を意識させるために作られたキャラであるためか、著しく魅力に欠けたスーパーマンです。残りの話は(2)の評の時に。そんな感じ。

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)